小茂田浜海岸清掃
厳原町の佐須地区にある小茂田浜は、文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)で、元・高麗連合軍の大軍が襲来した浜で、数万の軍勢に対し迎え撃ったのは、当時対馬で地頭の職にあった宗助国公以下80騎の無勢。勝敗の帰趨は見えている中で討ち死にした武士の霊が祭られている小茂田浜神社が、浜の横に鎮座します。
文永の役といわれる元軍最初の襲来は1274年の11月5日とされていて、この小茂田浜神社では毎年11月第2日曜日に、当時亡くなった武士たちの霊を鎮めるために「小茂田浜神社例大祭」を執り行っています。
数万の軍勢を乗せた敵の軍艦が姿を見せた小茂田浜沖の海に対し、小茂田浜神社の宮司が弓を射る「鳴弦の儀」という儀式が行われているのですが、その弓を射る目の前の浜に広がるのは、大量の海岸漂着ごみ。
この小茂田浜は対馬の西側に面しているので国内外からの漂着ごみが非常に目立ち、今年9月に対馬を襲った2度の台風により、通常よりさらに多くの漂着ごみで埋め尽くされる事態となりました。
このあまりに酷い状況に、いくつかの団体が清掃活動を行ないました。
地元佐須地区にある金田小学校の児童と対馬海上保安部の皆さん。
関西経済同友会の皆さん。
そして最終的に県の事業により重機が入り、ほとんどごみがなくなりましたが・・・
今年の小茂田浜神社例大祭は11月13日。
祭りの前にさらに海岸を綺麗にしたいと集まった地元の有志により11月6日に海岸清掃が行なわれ、ある程度綺麗になった浜をさらに綺麗にしていただきました。
小茂田浜近くにある商店様より心温まる差し入れをいただき、参加していただいた皆さまに召し上がっていただきました。
これは「豆もち」といって、元の大軍が攻めて来た事に気付いた際、戦に出る武士達に力をつけてもらおうと、地元住民が慌てて餅に茹でた小豆をぱっとまぶして食べてもらったものだと言われています。
味を付ける暇もないくらい近くまで攻めてきていたのだろうと想像できます。
元寇後750年ほど経った今でも、祭りの際、当時戦に倒れた武士の他、虐殺された多数の地元住民を偲び作られているこの地区の名物の1つです。
今年も綺麗になった浜で行なわれる「鳴弦の儀」。今年は11月13日に執り行なわれる予定です。
海岸清掃をしていただいた皆さま、ありがとうございました。